1996年のNBSニュースより佐々木さんのコラム
日本舞台芸術振興会と東京バレエ団代表の佐々木忠次さんが逝去されました。83歳でした。
NBSホームページ
http://www.nbs.or.jp/blog/news/contents/topmenu/post-626.html
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016050601001522.html
産経ニュース
http://www.sankei.com/entertainments/news/160506/ent1605060006-n1.html
随分前ですが佐々木さんの著書『オペラチケットの値段』を読み、詳細はよく覚えていないのですが
お若い頃から舞台芸術への情熱に溢れ、ユニークな手法で舞台装飾を手掛けたりと
大胆な行動力は周囲を驚かせていたようです。
佐々木さんの功績で特に大きいのは東京バレエ団を創立間もない頃から
海外公演を成功させるバレエ団にしたことでしょう。
容姿や体型で欧米のダンサーに劣ってしまうのは仕方ない、
東京バレエ団を世界に誇るバレエ団にするためにはアンサンブルの強化が不可欠と考えて実践。
整然とした群舞は初期の海外公演から絶賛を浴び、のちにはチャイコフスキー記念の名称を与えられるなど
バレエ団の名を世界に知らしめました。
今考えても、創立から数年しか経っていない段階でバレエの本場旧ソ連、
しかもまだ積極的に外部の団体を受け入れていない社会主義の時代の国における公演の成功は只事ではありません。
シルヴィ・ギエムとの親交も深く、バレエ団と度々全国をツアーで回って各地の観客を喜ばせてきました。
2014年東京バレエ団創立50周年記念ガラの会場に飾られていた第1回海外公演ポスター。
NBS主催のオペラ公演は観ておりませんが、チラシに掲載されている歌劇場の名前は
オペラに疎遠な私でも知っている有名どころばかり。
次々と当たり前のように公演が続く根底には佐々木さんのたゆまぬ努力があったことは忘れてはならないと思います。
佐々木さんがお話しになる姿を目にしたのは10年前の世界バレエフェスティバルのガラ。
指揮者がフィナーレの演奏を中断し「ササキサン、What's up?」と客席に向かって声をかけて
佐々木さんが舞台に登場。抽選会の進行そしてガラの主なプログラムを淡々とした口調でお話しになり、
フォーゲルさんの黒鳥、フロメタさんのエスメラルダ、マラーホフさんのジュリエットなど
内容と語り口のギャップに客席が大きな笑いに包まれた光景を思い出します。
それ以前には所属の垣根を越えたパ・ド・カトル
(確かアロンソも出演→アロンソ、テスマー、エフドキモワ、フラッチの4人)や
幕ごとに異なるキャストが組まれた『白鳥の湖』も上演されたはず。
シュツットガルトの歴史に残る名ペアであるハイデとクラガンが着物を着て
三味線を弾きながら渡世人夫婦を熱演するなどバレエフェスならではの
パフォーマンスが生まれたのも佐々木さんの人徳でしょう。
ダンサーへの妨げになるからと口を酸っぱくして『ドン・キホーテ』や黒鳥のパ・ド・ドゥでの
フェッテの手拍子禁止を訴えていたお姿も記憶に刻まれております。
入口で配布された昨年のバレエフェスティバルキャスト表には
『ドン・キホーテ』の隣りに「手拍子はご遠慮ください」との文字がくっきり。
一方歯に衣着せぬ表現は時には批判を浴びることも。
特に新国立劇場に対するお考えはこちらで紹介するまでもありません。
私は高校生の頃は東京バレエ団の公演に何度か通っており新国立の舞台はまだ観ておりませんでしたが
当時はインターネットも滅多に利用していなかったこともあり、新国立の情報いえば
新聞の小さな広告や東京バレエ団公演会場で配布或いは自宅に届くNBSニュースに掲載された
佐々木さんの痛烈なコラムで得るぐらいでした。
あのコラムを読んでいる限りは今だから言えますが決して良い印象は持てず、
いったいどんなカンパニーであろうかと考えを巡らせたものです。
(実際観に行きましたら印象はガラリと変わり、今では通い詰めるまでになりましたが)
ただ佐々木さんの一本筋を通した発言は的を得ていて、芸術に無理解な官僚に頭を抱えたこともきっと数知れず。
日本に一流のオペラやバレエの公演を根付かせようと奔走されていたからこそ出る言葉はどれも重みがあります。
心よりご冥福をお祈りいたします。
NBSニュースより 1997年の世界バレエフェスティバル全幕プログラム概要