11月3日(土)、京都ロームシアターにて京都バレエ団公演『京の四季』『屏風』を観て参りました。
ロームシアターはでの鑑賞は、2011年の原美香さんのリサイタルで訪れた旧京都会館時代を除けば初めてです。
http://www.kyoto-ballet-academy.com/a_ballet.php
『京の四季』
箏 :大谷祥子 立道明美 菊重絃生
横笛 :藤舎貴生
生花 :小池美由希 青木優里
振付・指導 :有馬えり子
春
「春の海」作曲 :宮城道雄
夏
「螢」作曲 :大谷祥子
秋
「祇王の涙」作曲 :大谷祥子
冬
「百花譜」より冬 作曲 :沢井忠夫
京都の四季の移ろいを描いた作品。春はお正月でお馴染み
宮城道雄さんの曲に乗せて淡いピンク色の世界が広がりました。
ユニークであったのは、「花のワルツ」で用いられても違和感のない膝丈のふわっとしたチュチュと
薄衣の着物の丈を短めにして踊りやすくした衣装のチーム両方による構成。
自然と溶け合って、クラシック・バレエと着物の美しさどちらもが視覚にも品良く入ってくる見栄えでした。
盆地である京都の夏は昔から猛烈なのでしょう。源氏物語の中で放たれ蛍の話を基盤に繰り広げていく展開で
涼しげな色彩が爽快感をもたらし、秋は打って変わり平家物語の書物から飛び出したかのような
着物を忠実に再現した装い。祇園精舎の鐘の声で始まる冒頭部分しか知識のない私でも
平清盛たちが厳かに舞う姿に次第に引き込まれていきました。
冬は『くるみ割り人形』雪の情景によく似た古典バレエの衣装。男女のペアが次々と登場し
スピード感と厳冬を思わせる旋律に乗せて吹雪の如く
素早いフォーメーション変化を見せながら冬景色を彩ります。
四季を描いたバレエといえば咄嗟に浮かぶのがフレデリック・アシュトン版『シンデレラ』における
仙女からの贈り物。かれこれ40回は観ており(来年のGWも鑑賞するが)頭に刷りに刷り込まれておりますが
あくまでプロコフィエフが生まれ育った土地の四季を描写しているため秋の曲が既に吹き荒れる北風を想起。
ロシアと京都付近では気候が大分異なりますから当然ですが、より親しみやすい作風の四季もまた良し。
夏の前には蝉の鳴き声、秋はお囃子、冬は吹雪、と特別北国南国ではない地域ならば想像しやすい
それぞれの季節を象徴する音が曲の前に響き渡るため、より入り込み易く思えたのでした。
そして生花との共演も忘れられない面白い演出でバレエを披露している最中に生けられ舞台後方にて行われ、
同時進行で鑑賞できたのは初。目の前でバレエが繰り広げられ音楽も鳴り響く中で生け込みを行うのは
相当な集中力が求められますが、姿勢を崩さず品位ある所作によって花1輪1輪が生けられて
徐々に舞台美術が出来上がって行く様子をバレエと同時に鑑賞し
バレエのみならず今回は美術も生ものである面白味を体感できました。
2階席であったため箏と演奏者の姿をじっくり観察。お恥ずかしい話
和楽器の生演奏に耳を傾けたことが日本舞踊とバレエの共演以外ではこれまで殆んどなく
指先の細やかな動きによって奏でられる力強くも繊細な音色に聴き入った次第です。
『屏風』
原構成・演出・振付:有馬龍子 安達哲治
再振付・指導:有馬えり子
ピアノ曲:エリック・サティ
美術:皆川千恵子
小鼓:藤舎呂悦
横笛:藤舎貴生
謡:金剛永謹
詞章:冷泉貴実子
ピアノ:森田圭子 矢田裕子
小泉八雲の怪談をベースに振り付けられた作品。京都白川のお祭りの広場で売られていた
屏風に何かを感じた青年が許婚の女性の言うことを聞き入れず購入。
夜な夜な屏風から出てきた妖女に襲われてしまう奇怪な物語です。
青年の太一役は山本隆之さん。爽やか端正な青年が屏風を目にしたことにより人生が狂ってしまう流れを
身震いするほどに表現され、青年の苦悩や怯えがじわりじわりと募っていく姿に背筋が凍りそうになりました。
後半におけるびょうぶの女からの奇襲では上半身裸体状態で、新国立劇場でも上演された
デヴィッド・ビントレーさん振付『カルミナ・ブラーナ』日本版を彷彿。
山本さんを代表する役柄とも言える神学生3での眩しかった下着1枚姿を懐かしく思い出しました。
年齢を重ねた現在も彫刻の如き肉体美に惚れ惚れ、近年はむしろ若返っていらっしゃる印象と見受け
青年役にぴたりと嵌る整った容姿にただただ手を合わせたいばかりです。
びょうぶの女は京都バレエ専門学校卒業生で牧阿佐美バレヱ団で活躍中の光永百花さん。
華やいだ雰囲気に妖しさを香らせて悍ましいまでに青年を誘惑し、着物の裾から覗く脚線も美しく映えていました。
謎めいた屏風売りは佐々木大さんと藤川雅子さん。格好はさほど奇異な箇所はないながら
滑稽な仕草や屏風を売る際の視線が何処か怪しく、屏風を欲する太一を引き留めたい
𠮷岡ちとせさんが踊る許婚の京子の気持ちに説得力を持たせる胡散臭さです。
屏風売りのヴァリエーションではないが踊りとしての見せ場もあり、爽快な跳躍や軽快なソロも拍手を攫いました。
音楽はサティのピアノ曲の数々。『ジムノペディ』始めしっとり寂しげな曲調が
太一の孤独や恐怖感を一層引き立たせる効果大で、絶叫や嘆きは横笛の震える音で表現され
サティの曲が日本を題材にした作品にこうも合致するとは思いもいたしませんでした。
舞台の京都の街角。主役から町人まで全員着物衣装で
踊りやすさに配慮且つ妙な違和感もないデザインのため中途半端なファンタジー路線もなく
また町人たちの生活と生き生きと踊りで描いた振付満載で冗長な印象を与えず、
日本を舞台にしたバレエとして誇りを持って上演を続けて欲しいと願います。
何よりも『屏風』は1980年代にはヨーロッパでの上演を成功させている実績に敬意を表したい思いでおります。
『京の四季』、『屏風』ともに日本で生まれ育った者からしても変な突っ込みどころは皆無で
海外の観客からすれば細微な美しさを備えた日本文化にバレエを通して触れられる日本発の名作バレエ。
場所柄地域柄会場には芸妓さんらしき方も見えていて
京都を拠点に活動するバレエ団の独自の色が濃く出た公演でした。
新幹線で当日朝京都到着。バス1日乗車券を購入後、銀閣寺へ。京都駅前は大混雑でしたが
バスに乗り、清水寺付近を過ぎると車内は一気に空きました。
渋みある外観で何度観ても一番好きなお寺、お寺もダンサーもお酒も昔から渋い魅力に惹かれる管理人でございます。
母に何回話しても銀閣寺の魅力を分かってもらえず、地味な寺としか思えないらしい。母は金閣寺派。
銀閣寺近くに位置するうどん店のおめん、開店少し前に到着したところ開店後すぐに案内してくださいました。
1人でしたのでカウンターの掛けたところ、近くのご夫婦らしき方々が呑んでいらっしゃるます酒が美味しそうで
同じものをいただきたいと注文。すると隣のお1人の女性客の方から「お酒、美味しいですか?」と尋ねられ
すっきり品ある味と答えるとその方もご注文。祝日の昼下がりからカウンターにて
見知らぬ者同士楽しいお酒リレーが行われたのでした。
哲学の道。皆さん清水寺やソーシャルメディアで話題沸騰の伏見稲荷大社に行ってしまうのか、
銀閣寺も哲学の道も人はまばらでのんびり散策。紅葉がほんのり色づいた木々を眺めつつ歩きます。
若王子を「わかおうじ」と誤読しておりました、失礼。正しくは「にゃくおうじ」だそうです。
哲学の道沿いに位置するよーじやにて抹茶と柚子味のチョコレート。抹茶の濃い苦味が心地良し。
お酒の印象が強すぎるのか甘い物を好まなそうとのお言葉はしばしばいただいておりますが
お土産にいただいたものは喜んで食べますし、友人との語らいや旅先ではいただくこともございます。
ただパフェやパンケーキなど華やか志向なものは似合わぬと自覚。
(大学のバレエ好きな後輩たちとは先日珍しく食し、後輩たちには深謝)
眺めのいい部屋から見える日本庭園。プッチーニの曲を用いた同様の題名の映画が昔あったような記憶。
哲学の道を更に歩いて南禅寺を過ぎたあたりから道路の案内図を頼りに別の道を引き返し
平安神宮へ。こちらも空いていた。青空に映える朱色の建築が鮮やかです。
羽生結弦選手が先シーズンにフリープログラムで使用していた映画『陰陽師』は新聞の懸賞でチケットが当選し
2001年に有楽町の映画館で観ているが音楽は微かに記憶がある程度、
野村萬斎さんがこの平安神宮で気高く舞っていらっしゃいました。
映画も満員御礼な盛況ではなく、まさか音楽がこうも話題になるとは
当時の制作関係者は思いもしなかったことでしょう。
帰りはバスで四条河原町へ。祇園周辺が大渋滞であったため祇園からは歩いた方が早かったかもしれません。
先斗町へ行き、予算に合いそうなお店を発見。
ふらりと入る際は活気がある、自身と似た身なりの客が入りお店の方と楽しそうに話している、
そして値段を含む事細かに書かれたメニューが外に掲示されている、以上がポイントと思っております。
京都の地酒神聖で乾杯。神聖といえば、ナチョ・ドゥアト振付『ドゥエンデ』で使用されている
ドビュッシーの『神聖な舞曲世俗の舞曲』が好きなのだが
プログラムによれば宮城道雄さんはドビュッシー愛好家だったとのこと。
茄子の田楽、京料理店を訪れると味わいたい一品です。香ばしい香りとお味噌の甘さが溶け合いお酒が進みます。
おでんは豆腐と鴨肉つくね、ぽかぽかと温まり味もよく染み込んでいてご馳走さまでした。
店員さんは明るく丁寧で常連観光客問わず居心地の良い空気が流れ、値段も手頃。また訪問したいお店です。
翌日は初台に戻って『不思議の国のアリス』でございます。